−古代からのメッセージ−

アカシゾウがいたころ
 明石の地にゾウが生息していたのは、今から約200万年前のことです。当時は、現在より暖かい気候で、明石一帯にはメタセコイアの森が広がっていました。このころいたゾウがステゴドンゾウの一種であるアカシゾウでした。 このアカシゾウの化石を含んでいる地層は、大阪層群明石累層とよばれ、主として神戸市西区伊川谷町や神出町、明石市の西八木海岸などに分布しています。 とりわけ西八木海岸一帯からは、これまで漁網で引き揚げられたものも含めて、70〜80体の化石が発見されています。 アカシゾウ
文化博物館に展示してあるアカシゾウの骨格模型
 アカシゾウは、体高(肩までの高さ)が約2mと小型で、体のわりには長い牙を持っていました。ステゴドンとしては臼歯の歯冠が高く、咬板数が多いなどエレファス科に似た進化したタイプの特徴をもっていました。 アカシゾウは、1936年高井冬二氏が明石海岸の林崎粘土層から採集したゾウ化石に対し、パラステゴドン・アカシエンシスと名づけたことにより、この名でよばれることになりました。
 しかし、最近では発見されていたアケボノゾウと同種であることがわかり、アカシゾウよりも先に命名されていたアケボノゾウの名でよばれることが一般的になっています。
 アカシゾウの化石は、日本列島から関東地方以西の10数カ所から発見されています。また、中国大陸からは黄河象とよばれるアカシゾウとよく似たゾウが発掘されています。現在では、アカシゾウは黄河象から分化したゾウであると考えられています。

シカマシフゾウ
シカマシフゾウ頭部(復元)と現生のシフゾウ
シカマシフゾウ

 シカマシフゾウは、アカシゾウなどと共に暖かい日本にいた大型の鹿です。この鹿は子牛ぐらいの大きさで、低地の森林や湿地帯を好んでいました。 シフゾウは中国語で「四不像」と書きます。蹄は牛に似て牛でなく、頭は馬に似て馬でなく、角は鹿に似て鹿でなく、体はロバに似てロバでなく、4つの動物に似ていて、そのどれでもないということから、この名前がつきました。 明石沖で発見されたシカマシフゾウの頭骨と角の化石から、肉付け復元しました。



「明石原人」の謎
 地球上に人類が登場したのは今から約400万年前のことです。人類は猿人から、原人、新人へと進化してきました。では、日本にいつごろから人類が住み始めたのでしょうか。その謎を解く鍵は、この明石の地で最初に発見されました。
明石原人の骨
明石原人の腰骨(複製)
 後に「明石原人」と呼ばれることになった人類の骨は、1931年に大久保町の西八木海岸の更新世の地層の崩壊土から発見されました。発見者は、当時考古学や古生物に興味を持ち、西八木海岸一帯で動物の化石や石器らしきものを採集していた直良信夫氏でした。
直良氏はその骨を旧石器時代の骨だと考え東京大学の村松瞭氏にその人骨を送り、判断を求めましたが、当時比較する資料がなく、結論が出ないまま返却され、1945年の空襲で、この骨は失われてしまいました。

 戦後、人類学者の長谷部言人氏は、東京大学に残されていた人骨の石膏模型をもとに、明石で発見された腰の骨は、北京原人に匹敵する原人の骨であると発表しました。 1982年には東京大学の遠藤万里氏と国立科学博物館の馬場悠男氏が、世界各地から出土した人骨との比較を行い、明石人骨は縄文時代以降の新人の骨であるという説を発表しました。

人類の進化

 国立歴史博物館の春成秀爾氏は、1985年に西八木海岸の発掘調査を行いました。この調査で、直良氏が人骨を発見したとされる地層(西八木層)から、人が加工した木器が発見されました。その結果、この明石の地に6〜7万年前に旧人に相当する人類がいたことがほぼ確実になりました。

 「明石原人」をめぐる問題は、近年になり考古学や人類学等の研究分野の発達により、次第に解決されてきましたが、いまだ人骨をめぐっての評価は定まらず、数々の謎を残しています。
 今後この明石の地で第2の「明石原人」が発見される日も近いかもしれません。


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